「講談は制約があるけど、小説ですと自由に書けました」
2002年、落語協会に入会した茜は寄席に出られるようになったが、当時、幼児だった2人の子供の世話と家事で忙しく、高座に上がる機会は少なかった。その欲求不満を晴らすように、新作講談を作り続けたという。
「忙しい間でも、家で書くことはできますから。漠然と、新作講談集みたいな本にならないかなあと思って書いてました。知り合いの編集者に相談したら、『講談じゃ本にならないから、小説にしてみたら』と言われて、小説形式に書き直した結果、短編集として刊行されたんです」
2007年に出た処女作、「フェロモン」(ポプラ社)である。
「講談は制約があるけど、小説ですと、登場人物を何人出しても、演じる必要がないので、自由に書けました」
しかし、小説の世界も甘くない。次回作がなかなか本にならなかった。
「文学賞でも取るしかないかと、いろんな賞に応募しました。その中で、『女子芸人』という長編小説が、新潮社のエンターテインメント大賞に選ばれたんです。選考委員長は作家の三浦しをんさんでした」