テレ朝・玉川徹氏の“電通発言”は放送メディア研究の対象として極めて興味深い
10月19日のテレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」。玉川徹氏は「謹慎の10日間、私は事実確認の大切さ、テレビで発言することの責任の重さを考え続けました」と語り、取材した内容を伝える形で番組に出演すると自身の今後について説明した。
これで玉川氏が国葬をめぐって誤った発言をしたとして騒ぎとなった問題は区切りをつけた形となった。この問題では、「謹慎では甘い」と降板を求める側と、その必要はないと主張する側とで二分する騒ぎとなった。顕著だったのは、前者は国葬に賛成する人たち、後者は国葬に反対する人たちという二項対立が貫徹されたことだ。
例えば、国葬に反対する人でも玉川氏の発言に批判的な人がいてもいいし、その逆があってもいいと思うが、そうした状況は目立たなかった。
私にとっては、そうした是非論はともかく、玉川氏の発言自体はメディア研究として極めて興味深いものだ。問題になった玉川氏の発言は短いものではないが焦点になったのは、「僕は演出側の人間ですからね、テレビのディレクターをやってきましたから。それはそういうふうに作りますよ、当然ながら。政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね」だろう。