トップスター・荒木一郎は大きすぎる犠牲を払いながら「なりゆき」を謳歌した
ぼくが音楽プロデューサーだと知ると「すごいですね。お仕事を始めたきっかけは何ですか」と訊ねる人は多い。まだキャリアが浅いころは、その都度真に受けて自分の来歴を丁寧かつ詳細に答えていた。でもこの種の話題で、マジメは総じてウケが悪い。何度も辛酸を舐めてたどり着いたのが「なりゆきですね」というシンプルな回答。3割はオトボケにしても、残りの7割は本音である。
だが、そんな軽いやりとりも当分は自重することになりそうだ。この国のシンガー・ソングライターの嚆矢にして個性派俳優・荒木一郎の自伝的青春小説『空に星があるように』(小学館)を読んで、自らの人生を「なりゆき」と語って許されるのはこれほどの天才にかぎられるとつよく思ったからだ。
■スターという名の甲冑を外した素直な若者たちの姿が
1944年生まれの荒木は、つい先ごろ79歳の誕生日(1月8日)を迎えたばかり。小説は16歳から25歳まで、つまり1960年から69年までを描く。小林信彦の名著に倣っていえば、ずばり「60年代日記」。若き日の大島渚(小説にも本人が登場)にも影響を与えた文芸評論家の菊池章一を父に、多数の母親役で知られた名女優の荒木道子を母にもつ著者である。登場人物も華やかそのもの。吉永小百合、岩下志麻、十朱幸代、大原麗子……誰もが知る美女たちとの交遊が、淡々とした筆致で、だが生き生きと綴られる。
カメラやマイクに向かってではなく、ましてや取材目的でもなく交わされる言葉たち。そこには人間がいる。スターという名の甲冑を外した素直な若者たちが。ドラマ『塚原卜伝』の撮影時、衣裳の重さに閉口した著者が「それにしても、鎧は重すぎる。軽く作って芝居をやりやすくすれば、誰もがもっと良い芝居が出来るのに」と思う場面は象徴的にして秀逸だ。
音楽と演技のみならず、ラジオDJ、マジック、芸能事務所経営とマルチな才能で知られる荒木だが、その表現活動は自発的とは言いきれず、周囲に求められた結果であることを本人はくり返し強調する。必死の奮闘ぶりを秘匿したい東京人ならではの含羞かと勘繰りたくもなるが、事はそう簡単ではない。自分の作る歌を「誰かの人生のためのバックミュージック」と位置づけてきた荒木は、ビジネスを意識して初めて売るために「ブルー・レター」を作ったことを自ら「犯罪的な行為」と断じる。たとえ自発的ではなくとも、芸術表現に対しての態度はマジメを通り越してピューリタン的でさえあるのだ。