健康診断には「行かない」岡崎友紀さんが大病せず70歳までやってこられた秘訣
岡崎友紀さん(俳優・歌手/70歳)
「おくさまは18歳」(1970~71年、TBS系)が大ヒットし、「18歳シリーズ」で一世を風靡した岡崎友紀さん。子役から舞台、ドラマ、さらに歌手としても活動を続けてきたが、70歳を迎えて、ニューアルバム「Now to Now」を発売する。これまでの芸能人生を振り返りながら芸能界の大先輩の言葉、活力の源を語ってくれた。
■宮城まり子、森繁久弥に「かわいがってもらった」
50年以上前の番組ですが、いつまでも18歳でいてほしいというファンも出てくるくらい、「おくさまは18歳」は楽しく見ていただくことができました。でも、私は8歳から舞台の子役でしたから「おくさまは18歳」がデビューではないので、当時は戸惑いもありました。
4歳からバレエを習わせてもらっていましたが、裕福ではなかったので、途中から月謝が安い東宝芸能学校児童科に通っていました。
そこから新宿コマ劇場での宮城まり子さんの公演にかりだされ、以来、宮城さんに大変かわいがっていただきました。おうちでのホームパーティーに呼んでいただいたこともあります。
11歳の時、今でも忘れられない言葉をかけてくださいました。私も一緒に出る舞台場面の直前、宮城さんが早替わり室でドレスを着替えながら、後ろにいる私を鏡越しに見て「芸人になったらあかんよ。芸術家にならなあかんよ」と。その時は意味がわかりませんでしたが、すごく印象的な言葉でした。
誤解があるといけないのですが、芸人がダメという意味ではなく、要するに、基礎からきちっと学んで、自分のパフォーマンスを確立していきなさいというお言葉だったと思っています。
小さい頃から舞台やテレビに出演してはいましたが、贅沢をしたいとか有名になりたいとかということはなかったですね。普通でいられたのは子役時代からずっと、母親からの厳しい教育があったからかもしれません。とにかく行儀よくするように育てられました。「うん」なんて返事したらエラく怒られたし、必ず人の目を見て話して、背筋もピッと伸ばしていなくてはいけなかった。
母はいわゆるステージママではありません。とても穏やかで静かで、ビジネスにはまったく向いていない人でした。ただ親として私だけにはとても厳しい人でした。20歳になった時かな、さすがにみっともないので、なるべくついてこないでとお願いしました(笑)。
森繁久弥さんにもお世話になりました。ドラマ初出演は森繁さんが主演の「太陽の丘」(66~67年、NHK)です。森繁さんと私の母は満州放送局の同僚で、その縁で森繁さんとはずっと家族ぐるみのお付き合いがありました。森繁劇団の旗揚げ公演の時から母に連れられ、楽屋に挨拶に行ったことを覚えています。
子どもの頃、おうちにうかがった時には、私のために書を書いてくださることもありました。まだ11歳か12歳の頃には6メートルもある巻紙に森繁さんの温かい言葉をつづってくださっています。子役時代からそういった大先輩たちに教えていただいたことは私にとって、大切な宝ものです。