伊武雅刀は渋い声と丁寧なこだわりで夢を掴み取ったのだ
転機になったのは「声」だ。その渋い美声を買われ、渡辺貞夫のジャズ番組に起用されたことをきっかけに、声優の仕事も舞い込むようになっていった。だが、彼が目指すのはあくまで俳優。金は稼げるようになっても、夢と現実のギャップに苦しんだ。
そんなときに出会ったのが「FM東京のヌシ」のように毎日、局に来ていた小林克也だった。そうして桑原茂一と小林がやっていたラジオ番組「スネークマンショー」に出演することになったのだ。
当初はウルフマン・ジャックというキャラクターが曲紹介をする音楽番組だったが、伊武が参加するタイミングで、コントドラマが始まった。「自分たちが面白いと感じたもの、伝えたいと思ったメッセージを、手作りのおにぎりを作るように丁寧に丁寧に気持ちをこめて」(同前)つくると、人気が出た。
冒頭の番組でも「ホテルニュー越谷」というフレーズの「越谷」を決めるのに、ものすごく真剣に悩み、時間をかけたと述懐している。この人気がきっかけとなり、役者の仕事が入ってくるようになった。
「うまくやれなくて遠回りしたことで『伊武さんの経歴は異質ですね』と言われるけど、そのおかげでいろんなことが繋がってる」(マガジンハウス「POPEYE」23年10月号)
伊武はその声とこだわりで夢を掴み取ったのだ。