追悼・今くるよ コンビで売れっ子になった“運命の日”を振り返る時、いつも語っていた言葉の重み
今月27日、漫才、ラジオ、バラエティーなど30年以上ご一緒させていただいた、今くるよさんが亡くなられました。東京NSCの授業前に一報が入り、直後の授業で涙があふれて押し黙ってしまい、「ごめんね、実は今くるよさんが亡くなられました」と告げてしばらく言葉になりませんでした。
2015年に盟友のいくよさんが亡くなられてから9年、おひとりでラジオを務め、ピンで舞台にも立たれていました。次第にその数も減り、足腰を痛められてからは長距離移動は車イスを利用されていましたが、マネジャーに会った時も「お元気にされてますよ。ラジオに来てください」と聞いていたので、青天の霹靂でした。
「お客さん、喜んではったやろか? 満足してくれはったやろか?」と、いつもお客さんのことを気にかけておられたくるよさん。
いくくる漫才の凄いところは「うまい漫才」ではなく「面白い漫才」に徹してらしたところです。いくよさんは「ウチら、しゃべりがうまいわけでもないねんから、とにかく(お客さんに)喜んでもらわんとな」。くるよさんも「私らが(舞台に)出ただけで笑てくれはる、つらい厳しい現実を一瞬でも忘れて、楽しい和やかな気持ちになってくれはったらそんでええんよ。そうちゃいます? センセ(先生)? そのためなら、何言われてもかまへんねん」。年々派手になっていく衣装に「見た目だけやん」という一部の揶揄も承知の上でやってらっしゃいました。