和田アキ子「トドみたいな…」発言 炎上の背景にあった“関西話法”への嫌悪感
「関西弁をまくし立てる」演者に苦言を呈するもの、関西ローカルで人気でも関東の番組には呼ばれない出演者がいることで、感覚や嗜好は一様ではないことを指摘するものなど、いつの間にか当たり前となった関西カルチャーの限界を指摘するものだ。言いたい放題、えげつない例えの妙といった関西独特の会話スタイルに実は食傷していたわけだ。
たしかに、和田の発言にしろ、トドではなく漫画のキャラクターになぞらえて「ゴマちゃんみたい」と、「えげつなさ」をマイルドにしておけば、ここまでは叩かれなかったのかもしれない。
ただ一方で、少しでも批判めいた言動に対して「失礼だ」「キャンセルだ」と全否定的に受け取る風潮が、このところ行き過ぎているように思える。「優しい世界」という、なれ合いやぬるま湯に浸るような人間関係を皮肉るネットスラングがある。現実世界が厳し過ぎて、優しいメッセージにこそ救われるというのはわかる。だが、マスコミや政治家、「上級国民」へネットの中だけで唾を吐き、安直な優しさに満足していい気になっていても現実は変わらない。ネットでいくら吠えたとて、権力者や上級国民などタフに生き残ってきた側のダメージは思ったほどでもないのだ。
キチンとした本を読まなくなって、言葉に対する耐性や理解力と同時に、生き抜く底力も減退しているのだとしたら由々しき事態だ。言葉は世界への取っ手である。文字主体のネットコミュニケーションだからこそ、言葉が持つ意味と力に向き合いたい。(おわり)