R-1グランプリ準優勝ハギノリザードマン「大阪では家賃滞納で部屋のカギを替えられ、追い出されそうに…」
ハギノリザードマン(ピン芸人/40歳)
小道具を駆使したネタで今月のR-1グランプリで準優勝のハギノリザードマン。20年余りの下積みと決勝でのメンタルを語る。
◇ ◇ ◇
──出身地の岡山から最初に行ったのは大阪です。その吉本時代からお聞かせください。
20代はずっと大阪にいてお金がなさすぎて家賃滞納が3、4カ月続いたんですよ。ある日、帰宅すると鍵が替えられていて入れなくて。管理人のおばちゃんに聞いたら「業者の人が鍵穴を交換していったよ」と。
マスターキーで1度だけ部屋に入れてもらい、どこかで寝泊まりできるように衣服や通帳を取り出しました。1カ月間は野宿や知人宅に泊まってしのぐしかなかったですね。
「滞納分を期日までに払ったら新しい鍵を渡します。払えなかったら強制的に出ていってもらいます」と管理会社から言われ、借金してどうにか払って部屋に戻れました。それからは工事現場の日払いやカラオケのバイトをして借金返済の生活でしたね。最初のコンビを解散して新しいコンビを組んで「ちゃんとお笑いをやろう」と決めた頃でしたね。
2年後くらいには劇場にも出られて調子がよくなったんですけど、当時大阪の劇場は若い芸人ばかりで30歳の僕はもうおじさん扱い。いろいろと思うところもあり、「退所して、東京でもう一回勝負しよう」と決めたんです。
大阪でお世話になっていた三浦マイルドさんがR-1の王者になられて東京に行くことになり、「ルームシェアするか」と誘ってくれて、僕らともう一人の後輩で一緒に上京しました。
■隣の部屋のクーラーの風を隙間からもらっていた東京時代
──2013年に上京してからはどうでしたか。
4人で4つの部屋がある物件を借り、マイルドさんが10畳の一番いい洋間で月々7万円払うとまず決まった。2つある6畳分の洋間は相方と後輩が5万円ずつ払うと。僕は圧倒的に金がなかったので、誰も入りたがらなかった窓もエアコンもない4畳半の和室。マイルドさんが「3万円でいいよ」と。でも、夏は地獄の暑さでした。隣のマイルドさんの部屋からの冷房の風を戸の隙間からもらってました。
東京では牛丼屋で働いてましたね。コンビでサンミュージックさんに入ることができて3、4年はいろんなテレビに出してもらい、「上京してよかった」と思っていたら徐々に仕事がこなくなって。コロナ禍に入ったら仕事はさらになくなりました。
その頃はすごく狭いワンルームで1人暮らし。小道具で部屋の半分近くを占めてましたから、寝るスペースしかない。コロナ禍で外に出られないし、ライブも開かれないしで孤独な時期でした。
──そこからピンで特番の「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」に進出したわけですね。
相方はピン芸に興味がないみたいだったので僕だけ受けてみたんです。最初はダメで、翌年に合格して出演。そこで「面白い」と関係者に認めてもらえました。ちょうどその時期にコンビを解散。
「これからどうしよう」と悩んだ時に「細かすぎるモノマネでもっと上を目指そう!」と決め、ピンでライブに出る時はつねに細かすぎる用のネタを試していったんです。そして「細かすぎるモノマネ」では3位、2位、優勝と1年ずつ階段を上っていきました。足掛け4年で優勝。自信になりましたし、営業でもウケるようになり、お金も入って生活できるようになりました。