全共闘世代の河村光庸は芸能人への苛立ちを感じていたのだろう
この人には気まずい雰囲気のまま逝かれてしまった。
『東京新聞』の望月衣塑子がモデルの『新聞記者』のプロデューサーである彼に『俳句界』での対談を頼み、一度会ってOKをもらい、日時も決まっていたのに、3日前くらいになって、「どうしてもヤリクリがつかないから」と変更を申し入れて…
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