伊藤博文は板垣退助らの自由民権運動を容赦なく弾圧した
明治10年代、自由民権運動と伊藤博文を中心とする政府は本格的に対立していった。政府は政治的、法的に抑え込む方針を譲らず、その弾圧ぶりは、その後の日本政府の思想弾圧の原型ともなった。
明治15年6月、政府はまず集会条例を手直しして、国会開設を前提につくられた政党の活動に制…
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