拾われたロッテの入団会見では不覚にも泣きそうに…トライアウトからテスト生としてキャンプイン

「今岡にはプライドがないんか?」
2009年11月11日、周囲に批判を浴びながら、僕は12球団合同トライアウトを受けた。舞台は偶然にも阪神の本拠地・甲子園球場。当日は雨のため、室内練習場が会場となった。
プライドうんぬんなど関係なかった。とにかく現役を続行したい。その一心だった。他球団には自分の生きざまを見て欲しい。参加することに意義があった。覚悟が決まっていたから、緊張しないだろうと思っていたが、日本シリーズ以上といっていいほど緊張した。
8打席立って安打性の打球は2本。3四球を選んだ。合同トライアウトにはルールがあり、その日から1週間以内に獲得に名乗り出る球団がなければ、自動的に野球選手を辞めなければならない。すでに腹は決まっていた。
翌日、スポーツ紙に「今岡、広島入りが有力」「カープ今岡誕生」と報じられた。紙面には広島の編成担当者のコメントが出ていたが、実際は僕のところに、どこからも連絡はなかった。
1週間の期限の日がきた。旧知のスポーツ紙の番記者と「引退記事」を作成していたが、幸運にも最終日に千葉ロッテから電話がかかってきた。
「テスト生として2月のキャンプに参加する気はありますか?合否は第1クールで判断します。それでよければ、ぜひキャンプに来てください」
「はい! ぜひ参加させてください!」
首の皮一枚でつながった。スポーツ紙の引退記事の掲載をギリギリのところで止めてもらった。阪神の若手選手の邪魔にならないよう、二軍の室内練習場を借りて練習を続けた。年が明けて1月になると、阪神が高知・安芸キャンプで使用する室内練習場を借りて自主トレを行った。戦力外通告の後、打撃練習をしない日は一日もなかった。
トライアウト以上に緊張したのが2月1日だ。まだ入団は決まっていない。もし走った瞬間にプチッと肉離れでもやってしまったら……。そんな恐怖と闘いながら、ロッテのキャンプ地・石垣島へ飛んだ。
第1クール3日目の2月3日の練習後、
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