芸能界と格闘技界 その深淵
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「本名の白羽秀樹では出られない。ましてや“城哲也”では絶対出られない」
1966年4月11日、日本で初めてのキックボクシングの大会が開かれた。資金繰りに苦しんでいた野口修は、大阪のプロモーターに300万円で興行権を売っていた。それもあって記念すべき第1回の大会にもかかわ…
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俳優・城哲也から未知の格闘技「キックボクシング」に進路変更した
日大芸術学部に進学していた白羽秀樹に声をかけたのが、新しい格闘技「キックボクシング」の旗揚げを目指していた野口修だった。1965年のことである。ボクシングプロモーターの野口はこの頃、日本ボクシング協…
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高田文夫は「授業へ出る足を止めていつも沢村先輩のキックを見ていた」と述懐
映画会社・新東宝の倒産のあおりを受けて大映に移籍した「城哲也」こと白羽秀樹だが、ここでも出演の記録は見当たらない。わかっているのは、大映の幹部の勧めに従って日本大学芸術学部映画学科に進学したことだ。…
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新東宝のエースだった宇津井健が「大映移籍」の時に出した条件
少年時代から石原裕次郎やカーク・ダグラスのような映画スターに憧れた白羽秀樹少年(のちの沢村忠)は、中学3年生の時、映画会社・新東宝のオーディションに合格。芸名は「城哲也」。高校時代だけで8本の映画と…
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大蔵貢社長の独裁で「新東宝」に歪み…“エログロ路線”も下降線をたどる
1950年代後半、新東宝は、活動弁士あがりの大蔵貢が社長に就いていた。「湯の町エレジー」で知られる歌手、近江俊郎の実兄で、ワンマン社長として知られた人物である。 大蔵は他社との違いを売りにし…
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「キックの鬼」こと沢村忠の原点は中国武術と芸能への憧れ
沢村忠は1943年、日本人土木技師の次男として、旧満州の新京(現・中国吉林省長春市)に生まれた。本名・白羽秀樹。 母方の祖父が武術の達人で、少年時代から英才教育を受けたことは沢村忠の特集記事…
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「新東宝スターレット」6期生のオーディションに中学3年生の沢村忠の姿が
「戦後最大の労働争議」といわれるのが、大手映画会社・東宝で発生した「東宝争議」である。1946年から48年にかけて3度にわたり繰り広げられ、特に48年の「3次争議」では共産党系組合員との攻防に警察のみ…
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山口洋子は「波瀾万丈の3冠王」 権藤博は弔辞でそう述べた
山口洋子と中日ドラゴンズのエース、権藤博の長い春は、交際4年にして終幕を迎えつつあった。当時のことを山口洋子は、いくつかの媒体で振り返っている。作詞家としての活動が軌道に乗り始めた1970年には「中…
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山口洋子と権藤博の結婚を阻んだもの…女性誌は「中日球団の横槍が」と
山口洋子は、かつて愛人関係にあった元安藤組組長の安藤昇とその後、週刊誌で対談したように、元婚約者の権藤博とも文芸誌「オール読物」(1998年3月号)で対談している。「清算上手」と言うほかない。 …
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「本当はお嫁さんのプロになりたかった」銀座のマダムが店を閉めて“花嫁修業”
本連載において「山口洋子は強い男に引かれる気質だった」と書いた。野口修もそれに該当する論拠としてである。 4年前に他界した作曲家の平尾昌晃は、洋子を公私ともによく知る盟友とも言うべき存在であ…
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山口洋子にも「実家の姑さんに可愛がられる嫁にならないといけない」という呪縛が
1983年、日本中に空前の大ブームを巻き起こしたドラマといえば、「おしん」(NHK)である。主演の田中裕子演じるおしんが、関東大震災で自宅と工場を瞬時に失い、佐賀にある夫の実家に身を寄せるくだりがあ…
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山口洋子が中日・不動のエース権藤博と夢見た結婚
「オール読物」という文芸誌がある。1998年3月号で「球春対談・プロ野球は男のロマン」と題した1組の対談記事が組まれた。当時「姫」の店舗を他人に譲渡し、作詞家から作家に主軸を移していた山口洋子と、この…
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山口洋子が店を閉めて結婚を考えるほど惚れ込んだ野球選手「F」とは誰か
1960年代前半に「プロ野球選手F」と恋に落ちた山口洋子は、あろうことか結婚を望むあまり、銀座から身を引こうと考えた。それでも、店を売ることまではせず他人に貸した。相手は顔見知りの中国人で期間は2年…
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山口洋子が結婚を考えた大本命は中日ドラゴンズ所属の「F」
1968年、在阪球団のスター選手と恋仲にあった山口洋子だが「実はそれより以前に結婚寸前まで行った大本命がいた」という話を筆者はあるプロ野球OBから聞いた。筆者とは一時期、仕事現場で毎週顔を合わせてい…
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ローカルな往年のプロ野球選手と花の銀座の人気ママの取り合わせの妙
野口修と山口洋子が出会った1968年、野口に妻子がいたように、洋子にも恋人がいた。プロ野球選手だったという。おそらく「姫」に客として現れ、恋に落ちたのだろう。洋子は後年、次のように明かしている。 …
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“ピス健”が現れると道がサッと開く「一緒にいる俺までが偉くなったみたいで…」
野口修と山口洋子の関係について、関係者に取材をして多くの人が口を揃えて言うのは、「野口さんは権力を誇示したがるところがあった。洋子ママはああ見えて強い男の人が好き。だから野口さんに引かれたというのは…
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「あの頃の世界戦はだいたい『姫』で決めたようなもんだから」
JR目黒駅西口を出て権之助坂を三叉路まで下ると、その左手にコーヒーショップチェーンのカフェ・ベローチェがある。52年前、ここに今とは別の4階建てのビルが立っていた。野口修が社長をつとめる野口プロモー…
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駒沢公園で山口洋子の車椅子を押す野口修…晩年の老老介護
拙著「沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝」(新潮社)の著述において、当然のことだが主人公の野口修に綿密な取材を行った。 2010年3月の開始当初は、ノンフィクションとい…
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下戸の野口修が山口洋子の「姫」に足しげく通った理由
野口修はこのとき34歳、働き盛りの敏腕プロモーターである。日大芸術学部卒、剛柔流空手道部出身の白羽秀樹を「沢村忠」と命名し、二人三脚で新興のプロスポーツ「キックボクシング」を走らせていた。 「…
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山口洋子と姫のホステスたちはキックボクシングに熱狂
後年「銀座の高級クラブ」と称された「姫」だが、少なくともこの時代までは庶民的な雰囲気があったという。事実、マダムの山口洋子自身、発展途上の若い作家や役者、芸術家に「お金のことは気にしなくていいから、…