「キックの鬼」こと沢村忠の原点は中国武術と芸能への憧れ
沢村忠は1943年、日本人土木技師の次男として、旧満州の新京(現・中国吉林省長春市)に生まれた。本名・白羽秀樹。
母方の祖父が武術の達人で、少年時代から英才教育を受けたことは沢村忠の特集記事を組んだ専門誌「月刊フルコンタクトKARATE」(武道ユニオン/1996年4月1日号)に詳しい。誌面では、明らかに日本の空手とは異なる構えを見せていた。その写真を見て「これは間違いなく中国武術の構えです」と看破したのは、「実録 柔道対拳闘 投げるか、殴るか。」(BABジャパン刊)を執筆し、武術の歴史に詳しい会津大学の池本淳一上級准教授である。
「中国武術には独特の構えがあります。日本の空手と決定的に異なるのは脱力に比重が置かれます。どの流派だったかとかは写真だけではわかりませんが、少年時代に旧満州で体得した武道は沢村さんの中でずっと息づいていたのでしょう」
■旧満州の新京から東京・青山へ
終戦後、一家で日本に舞い戻ると、東京の青山に居を構えた。青山小学校・中学校時代に沢村忠と同級生だった人物に筆者は話を聞いている。