下戸の野口修が山口洋子の「姫」に足しげく通った理由
野口修はこのとき34歳、働き盛りの敏腕プロモーターである。日大芸術学部卒、剛柔流空手道部出身の白羽秀樹を「沢村忠」と命名し、二人三脚で新興のプロスポーツ「キックボクシング」を走らせていた。
「どうせそんなもん、うまくいきっこない」という冷ややかな声に背を向けるようにコツコツと実績を重ね、旗揚げから2年でTBSと契約を結んだ。山口洋子と初めて会ったこのときは、レギュラー放映が始まったばかりだった。
「初めまして、野口です。今日はようこそお越し下さいました」「どうも、山口です。銀座で店やってます。よろしく」
その程度の挨拶だったことは、仲介した森忠大も、野口修自身も証言している。野口には妻子がいたし、洋子にも交際中の恋人がいたからだ。
2人の関係が単なる知人から変質していくプロセスは、格闘技プロモーター・野口修が芸能プロモーターに変貌を遂げる歩みと重なる。
野口は都心でキックボクシングの大会を催すたびに、山口洋子と「姫」のホステスを大勢招待した。