俳優・城哲也から未知の格闘技「キックボクシング」に進路変更した
日大芸術学部に進学していた白羽秀樹に声をかけたのが、新しい格闘技「キックボクシング」の旗揚げを目指していた野口修だった。1965年のことである。ボクシングプロモーターの野口はこの頃、日本ボクシング協会の常任理事の職にあったが、ボクシングとは別に新しいビジネスを立ち上げるべく、キックボクシングの旗揚げに奔走していたのである。そこで派手な蹴り技を持つ白羽秀樹に目を付けた。筆者は生前の野口修に初めて白羽秀樹に会ったときの話を聞いた。
■「口数が少なくて、おとなしそうな男」
筆者「初めて白羽と会ったときの印象は?」
野口「口数が少なくて、おとなしそうな男だと思った」
筆者「どんな話をしたのか?」
野口「『キックボクシングという新しいプロスポーツをつくった。やってみないか』と。最初はやる気があるのかないのかわからない様子だった」
筆者「梶原一騎原作の『キックの鬼』では『空手が最強だ』と言い張る白羽に『だったらタイ式ボクシングと戦ってみろ』と挑発する様子が描かれているが」