若者の心に東京への思慕を再生産する原動力だった
若くして脚光を浴びたせいで、裕次郎は慶応大学を中退し、俳優の道を歩みだす。それでも「俳優は男子一生の仕事にあらず」とうそぶいていたから、どこかに居心地の悪さを感じていたのかもしれない。「自分とは別の人間がつくりあげられていく」ことについて、戦争で敵弾に当たって一度死んで? 生き…
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