藤本敏夫の獄中記をもとに制作した「ひとり寝の子守唄」
加藤登紀子(74)はデビューから50年を超えてからも、毎年、新しいことに挑んでいる。2016年から始まっているのが、ひとりの歌手の人生をその人の歌でつなげていく「ドラマティック・コンサート」ともいうべきものだ。
16年はエディット・ピアフ、17年は美空ひばりをテーマにしたが、18年は、加藤登紀子自身がテーマとなり、コンサートと同時に自伝「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)、登場する歌を集めたベスト盤CD「TOKIKO’s HISTORY」も発売され、三位一体となっている。
彼女の作品は最初期のプロの作詞家・作曲家によるもの、自ら作詞・作曲したもの、外国の歌を訳詞して歌うものに大別できる。特に他の歌手にはないのが、外国曲だろう。膨大な作品の中から5曲を選び、その歌の背景にあるドラマを紹介したい。
■シンガー・ソングライターのはしり
加藤登紀子は、おそらく日本初の女性シンガー・ソングライターである。しかし、1969年秋にシンガー・ソングライターとしての第1作「ひとり寝の子守唄」が発売されたとき、〈初の女性シンガー・ソングライター登場〉とは宣伝されなかった。本当の〈初めて〉というのは、ひっそりと登場する。誰も〈初めて〉であることすら知らなかったのだ。
〈シンガー・ソングライター〉という言葉が定着するのはこの後、70年代に入ってからだ。それくらい時代に先駆けていた。
加藤登紀子は戦中のハルビンに生まれ、1歳8カ月で敗戦を迎えた。東京大学に進み、在学中の65年夏に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝したのをきっかけに、66年4月、「東大生歌手」としてレコードデビューした。当初は他の歌手と同じように、なかにし礼や小林亜星らプロの作詞家・作曲家が作った曲を歌っていたが、なかなかヒットしない。