藤本敏夫の獄中記をもとに制作した「ひとり寝の子守唄」
恋人・藤本敏夫の獄中記をもとに制作
学生運動が盛り上がっていた68年3月、加藤は東大を卒業するが、卒業式ボイコットに加わり、安田講堂前に座り込んだ。彼女はすでに有名人だったのでマスコミで報じられた。
そのニュースを見た、三派全学連委員長・藤本敏夫から「学生集会に出てくれないか」と依頼されたが、彼女は「政治と歌を一緒にしたくない」と断った。しかしこの出会いがきっかけで2人は恋に落ちる。歌手と学生運動のリーダーの恋――まるで映画みたいだ。
藤本は同年に3回、逮捕・勾留された。2回までは28日間で出てきたが、11月7日に逮捕されると69年6月16日まで8カ月も勾留された。その間の69年3月に、加藤は「ひとり寝の子守唄」を作る。ヒントになったのは獄中の藤本からのハガキだった。
〈「ひとりで小さな部屋にいると、朝起きてトイレ兼椅子の蓋を開けた時に、ひょっこり顔を出すネズミ君がたったひとりの友達だ。」そのハガキを眺めながら、思いつくままに詩を書いたのだった。曲も何となくすぐにできた。数え唄みたいなものだから、歌詞は1番、2番という風に思いつくままに作り、5番まで、1カ月くらいかかって少しずつ出来上がった。〉(自伝「運命の歌のジグソーパズル」から)
6月16日に藤本は出所したが、彼を迎えるべき学生運動は崩壊寸前だった。加藤はその日、「ひとり寝の子守唄」のレコーディングを終え、夜遅くに2人は再会した。藤本は1カ月ほど奔走するも運動の立て直しはできず、「もう全部終わった」と言い残して実家へ帰る。その夏の間に加藤は藤本と一緒に生きようと決めた。
9月に「ひとり寝の子守唄」が発売された。プロの作詞家・作曲家による歌は大ヒットにいたらなかったが、加藤が自分で作ったこの曲はヒット曲となって、レコード大賞歌唱賞をもたらす。シンガー・ソングライター加藤登紀子の誕生である。