「自由」と「平等」について、改めて考えさせられた
アニメ映画ばかりが映画館で幅を利かせて、客を呼んでいる。嘆かわしい正月だった。あんなペタッとした奥行きのない画面のどこが面白いのかまったく分からない。なんて想像力のないヤツだとアニメおたくからバカにされそうだが、分からないものは分からない。雄大な風景の中で俳優たちの迫真の演技を見せる実写映画が見事に消え失せてしまった。60年代初頭からのあまたのアメリカ製の連続活劇テレビ映画の番組を、母親に「目が悪なるで!」と叱られながら夕飯も食わずに、テレビに穴があくほど見ていたテレビ第1世代のオレには、アニメは食いつきが悪いし、頼りない。汗の臭いもたばこの香りもムスタングのエンジンの熱さも全く伝わってこないのだ。
正月らしい血湧き肉躍るスケールのデカい冒険活劇はほんとに見られなくなった。たかだかCG画像でごまかしたマーベルコミックの映画ぐらいだ。CGはリアルに描かれていてもしょせんCGアニメーション画だし、人の視覚細胞はすぐにこれはウソの世界だと見抜くから、真に迫ってくるはずもない。リチャード・バートンとイーストウッドがナチス相手に活躍する「荒鷲の要塞」や、リー・マービンやテリー・サバラスの「特攻大作戦」や「007・ダイヤモンドは永遠に」なんて、正月に見とかないとその年の計画が立てられなかった。まさしく生き方に影響したのだ。昔の正月を悔やむだけで年が明けてしまった。正月映画を見てないのに、おめでたいわけがない。トランプやゴーンの卑しい面構えをテレビで見ても何の感動もないし、目の毒だった。