林家たい平さん 5代目・柳家小さんの「粗忽長屋」に衝撃を
落語で人を幸せにしよう
ボクはひょうきんな子どもで、モノマネをしたりして人を笑わせるのは好きでしたが、ドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)が大好きで、学校の先生になりたいと思っていました。美術の先生になろうと美大に進み、縁あって廃部寸前の落語研究会に入りました。でも、入部前も、入部後も落語にはそれほど興味がなく、落語よりもデザインの勉強がおもしろくて、大学卒業後は商業デザインの道に進もうと気持ちが変わっていました。大学は毎日のように提出物があって、飲食店とかでアルバイトもしてたから忙しかったですね。
大学3年生になってすぐのある晩、いつものようにアパートの部屋でひとり、ラジオで音楽を聞きながら、翌日の提出物の制作に励んでいました。いつも追われている感じで、「ああ、今日も寝ないで制作かな。間に合うかな」なんて思っていたんです。ラジオは音楽番組が終わり、落語番組が始まりました。「あ、落語が始まっちゃった」と思ったんですけど、チャンネルを替えず、そのまま聞きながら課題を続けました。
ところが、噺にすごい力で引っ張られて、10分たったら絵筆を置いて聞き入り、20分後には久しぶりにゲラゲラ笑い、噺が終わる頃には幸せな気持ちに満ちていたんです。さっきまで課題に追われ、心がざらついていたのに、何とかなるよ!って気持ちにゆとりが生まれていました。そんな自分の心持ちの変化に、ビックリしました。
そのとき、ラジオから流れていたのが小さん師匠の「粗忽長屋」。人間の厚みを重ね、噺に説得力のある小さん師匠だからこそ引き込まれ、すごい衝撃だったのだと思います。
同時に、当時、ボクは星新一さんのショートショートが好きでよく読んでいて、「粗忽長屋」って星新一さんが描くSFの世界と同じじゃんって思ったんです。それまで落語って昔の話だと思ってたのに、古典落語でも全然昔の話じゃない。ボクは落語にちゃんと向き合ってなかっただけだったんだ、と気づいたんです。
大学に入ってすぐ、先生に「人の幸せの手助けをするのがデザインだ」と教わり、「自分のデザインでどうやって人を幸せにできるだろう」と、常に頭の隅でボンヤリ考え続けていました。小さん師匠の落語を聞き終わったとき、落語は噺で人の心をデザインし、人を幸せにするんじゃないか、と思いました。そして、まだ落語に出合っていない人はたくさんいるはずだ、ボクが落語家になって、みんなが落語に出合うキューピッドになりたい! という気持ちに。まさに人生が変わりました。