林家たい平さん 5代目・柳家小さんの「粗忽長屋」に衝撃を
東北・石巻の公園で決意表明
それからは、夢中になって落語を聞きました。新聞のラテ欄でラジオの落語番組を片っ端からチェック。授業があるからカセットデッキの留守録をセットしてテープに録音し、大学から戻ると課題をしながら落語を聞く。あるとき、ロシア語講座が入っていて、いつまでたっても落語が始まらない。よく新聞を見たら、「露語」を「落語」と見間違えていた、なんてこともありました(笑い)。
ただ、4年に上がる頃になると、さすがに落語で食っていけるのか、心は揺らぎました。先輩や同級生は大手広告代理店やデザイン事務所に進んでいるし、姉、兄の3人きょうだいのなかで、ボクだけ大学に入れてくれた手前、なかなか父親には「落語家になりたい」とは言い出せませんでした。
そこで、春休みに青春18きっぷを使って駅舎とかに泊まりながら、“噺の旅”をしに東北へ行ったんです。浅草の古着屋で買った着物を持って老人ホームを回り、噺を聞いてもらいました。ヘタな落語なのに、みんなすごく喜んでくれたんですよね。やっぱり落語は人を幸せにするんだ、落語家っていい仕事だなあって思い、石巻の日和山公園で「日本一の落語家になるぞ!」って誓いを立てました。
大学卒業間際、「笑点」に出演していた、こん平師匠に弟子入り志願しました。小さん師匠にはあまりにも強く心を打たれすぎたので、みんなが自由に楽しそうに噺をしている林家一門がいいな、と思って。父親の許しは得られず、部屋を借りるお金がないので、こん平師匠の師匠の初代林家三平大師匠宅で住み込みの行儀見習いから始めました。
小さん師匠には前座時代、全国へ連れていっていただきました。夢のようでしたね。ボクも今、「粗忽長屋」をやりますが、説得力が足りない。そこで、お客さまに共感していただけるサゲを新たにつくり、自分だけの「粗忽長屋」をやっています。80歳になったとき、本来のサゲを、小さん師匠のように説得力をもってやれるようになりたいと思っています。
(聞き手=中野裕子)
◆12月17日、東京芸術劇場プレイハウスで「林家たい平 独演会 23年目の『芝浜』の会」を行う。
▽はやしや・たいへい 1964年12月、埼玉県秩父市生まれ。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、初代林家三平宅で住み込み見習いを始め、88年、林家こん平に正式に入門。2000年、真打ち昇進。04年から「笑点」(日本テレビ系)に師匠の代役で出演を始め、06年からレギュラーに。04年と08年、国立演芸場主催花形演芸会金賞受賞。08年、第58回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。18年11月、第35回浅草芸能大賞受賞。