ビートたけし「浅草キッド」で歌った店の大将は芸人だった
ところが、発声練習なんか必死でやって1年がたったんだけど、来るのはエキストラの仕事ばかりなんだ。ゴジラから逃げ惑う群衆とかさ。「はい、こっちからゴジラ出たー」って助監督が大声で指示すると、800人くらいがダーッと走って逃げるわけよ。俺は目立ちたいから、先頭でわざと何度も転んだりしてさ。「君、余計なことしなくていいんだよ!」なんて怒られたなあ。
小林旭の渡り鳥シリーズでは、食堂で小林旭がギター持って暴れる後ろでカレーライス食ってろって言われたんだ。でも殺陣のシーンが何度もNGになってさ。10杯くらいカレー食わされて、翌日便所に行ったら、それがそのまま出てきたりして(笑い)。
それでどうもこれはおかしい、ニューフェースはどこいったんだって、残ってた5人で集まって話したんだ。そしたら全員が全員「君は11番です」と言われてたという……。
これじゃいけねえってんで、浅草でやっていた人情喜劇「デン助劇場」の大宮敏充(デン助)先生の元を訪ねたんだ。1965(昭40)年、19歳の時だよ。
当時、大宮デン助といえば、そりゃあもう大人気よ。ハゲヅラで口の周りにヒゲを描いて、ガンコな下町の親父というキャラクターでさ。松竹演芸場で1日2回公演。毎週土曜の午後にはテレビで生中継をやっていた。(注=「デン助劇場」は、NET(現テレビ朝日)系列で、1961(昭36)~1972(昭47)年に放送され高視聴率を誇っていた)