銀幕に存在感を焼き付けた純粋に欲どしい俳優・宍戸錠
感謝します。宍戸錠さん、長い人生、ほんとにお疲れさまでした――。
昭和の映画俳優が次々に世を去っていく。「わしは明石組の岩井や」の梅宮辰夫さんもそうだが宍戸さんも硬派の役者、いや、活動屋だった。日活の「殺しの烙印」(鈴木清順監督)なんてシュールな殺し屋の話など覚えてる人は少ないだろうな。1967年に主演したニューシネマだ。「仁義なき戦い・完結篇」でも広島やくざの組長を演じた。何役をやっても、個性をフル稼働させて、銀幕に存在感を焼き付けてみせる、純粋に欲どしい俳優だった。
初めてご一緒したのは1989年、平成に変わった頃で、片岡鶴太郎が死刑囚役で主演したTBSの2時間ドラマだった。局の意向だから仕方なかったが、片岡鶴太郎などボクは実は役者とも思ってなくて「誰か気の許せる気さくな本物の映画俳優らしい人たちで脇役を固めてもらいたい。でないと落ち着いて撮る気がしないから」とプロデューサーに頼み、現場に来ていただいたのが宍戸さんだった。日活の「エースのジョー」がカメラの前に立ってくれるのがうれしくて、毎日の撮影が楽しかった。浅草あたりで夜のロケが終わると「カントクさ、渋谷行こうよ。俺の知ってる酒が飲めるうなぎ屋あんのよ」と誘ってくれた。横から、これまた大女優の淡路恵子姐さんから「なんでよ、私の身内がやってる六本木行こうよ。2人で行かなくたっていいじゃない」とアヤをつけられた。結局、3人で渋谷のスッポン屋に行って、それからバーに回った。酒好きな錠さんと聞いていたのに、映画の理論の話ばかりになり、「カントク、俺は今、日活時代の実録小説を考えてんだよ。必ず、3年後に仕上げっから」と真剣だった。