「シザーハンズ」男と木村花さんは集団ヒステリーの犠牲者
エドワードは幼いころ周囲と人間関係を築けなかったティム・バートン監督の自己投影とされる。憂いの表情のエドワードが人々になじんで微笑むさまは一種の青春映画。キムの恋心を絡めているため“ファンタジック・ラブロマンス・コメディー”などと評されるが、人間の集団心理も見どころだ。
この純真無垢な青年に肉食系の人妻は性を求めて迫り、ジムはキムの気持ちを奪われたため彼を陥れようとする。パステルカラーの美しい町は一皮むけばエゴの巣窟。だから奇異な姿のよそ者が意のままにならないと知るや、一転してモンスターのように恐れ、憎む。そのあげくエドワードが逃げ帰った古城に徒党を組んで押しかける。友好の念が敵意に大転換。そのヒステリックな姿は米国映画が描いてきた集団リンチそのものだ。
木村花さんの件も同じだろう。視聴者は彼女が出たテレビ番組を面白いと感じてチャンネルを合わせたが、些細なことで批判が起き、これが大衆に拡散してヘイトの色を帯び、憎しみに増幅された。劇中の女たちが日々の暮らしに退屈しているように、日本人は巣ごもり生活で刺激を求めていた。コロナへの不安もあっただろう。そんなとき人は集団で誰かに刃を向けたくなる。関東大震災で異国人に竹槍を突き立てたのと同じ精神構造かもしれない。