古関裕而が飲んだコーヒーは1杯10銭 現在に換算すると…?
ドラマでは、よく行っていた喫茶店が自宅近くにあることになっているが、これはたぶん事実とは違うだろう。古関と妻・金子が居を構えたのは今の世田谷区代田。まだ、山の手の住宅街には喫茶店は少なかった。古関が通っていたのは銀座の喫茶店だった。そこで作曲家たちとコーヒーを飲みながら情報交換をしていた。
■明治末に銀座で開店した「カフェー・プランタン」
当時の銀座には数多くの喫茶店が出店していた。その火付け役となったのは明治末に開店した「カフェー・プランタン」。作家の永井荷風をはじめ、文壇や画壇の気鋭が通いつめ、「知識人のサロン」と呼ばれた。
同じころに銀座にオープンした「カフェ・パウリスタ」も忘れてはならない。ブラジル政府が日本でもコーヒーを流行らせようと、豆を無償提供。コーヒーを安く出し、普及に一役買った。なお、店の2階には女性専用室を設け、女性解放運動家の平塚らいてうや歌人の与謝野晶子らが集った。
その後、関東大震災が起こり、銀座の大半の店が壊滅的打撃を受けるが、昭和初期には早くも復興。喫茶店の数は震災前よりも増え、モボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)たちで賑わった。