海原はるか・かなたの海原はるかさん ハゲギャグ誕生秘話
フー! と相方のかなたさんが勢いよく息を吹くと、薄毛がなびいて大爆笑。そんなハゲギャグでお馴染みの海原はるか・かなたのはるかさん(72)。周りに助けられた苦労時代を経て、ハゲギャグが生まれた瞬間の秘話を詳細に語ってくれた。
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大阪万博の年の1970年8月11日、梅田の劇場でデビューしました。私らはペーペーで当時所属していた事務所の社長から「おまえらはおもろないねんから、お客さんが笑わんでも毎席、ネタだけは替えなあかん。おまえらは一生懸命やってる姿をお客さんに見せられたらそれでいい」と教えられました。
だから、舞台では必ず違うネタをやって出番も最初でしたから、ウケなくても一生懸命やってましたよ。
いろんな人に応援していただき、助けていただいてきましたから、そんなに苦労はしてなかったですね。住んでたアパートの近所にある洋食のレストランにちょくちょく食べに行っていたら、そこのマスターが僕らの舞台を見たことがあって「君、漫才師やな? お金ないやろ」と。「はい、まだそんなに稼いでないです」と僕。「9時すぎにおいで」と。どういう意味かな? と思ってある夜9時に行くと、その店は9時に閉店するようで、その後スタッフが賄いを食べるんです。「これ食べ? お金いらんから」とマスターがいつもただで賄いを食べさせてくれました。
そのレストランではお客の方とも知り合いになり、「金ない時は俺に言え。貸してやるから」と言ってくれて、たまに貸してくれました。その方とは今もお付き合いがあるんですよ!
そのレストランは今も存続していてマスターは亡くなりましたが、奥さんと息子さんがやられてます。
のちに新聞に「このお店にはデビューの時からお世話になってます」と僕が話した記事が載ったことあります。そしたらダウンタウンの浜ちゃんがある番組の街歩きするロケの時、その店で「ここのレストランでメシ食うたら、ハゲんねんな」とシャレで言ってくれたらしいんです(笑い)。
ハゲといえば、僕らのターニングポイントといえるネタですわ。ハゲ出したのが45歳くらい。それまでずっとテレビに出られず、「テレビに関わることはないのかな」と諦めかけてた頃でした。お風呂で頭を洗っても抜け毛が排水口をふさいでお湯が流れない。「ハゲてきたなぁ」と実感してましたけど、だれにも気づかれないようごまかしてました。当時出ていた浪花座の劇場でも楽屋の風呂場にカギを掛けて髪形をセットしてたんです。
横山たかし・ひろしさん、酒井くにお・とおるさんと僕らが同じ楽屋になった日のことです。横山たかしさん(故人)が楽屋話で盛り上がるのが好きな方で、その日もしゃべって僕らや、くにお・とおるさんにウケてるんですよ。
次にくにお・とおるさんも話して盛り上げて次に僕らの番。僕は楽屋話が得意じゃなかったんですよ。でも、ここで盛り上げなかったらテレビに出てる2組から、「やっぱりテレビに出てない芸人は楽屋でもおもろないねんな」と思われるのはイヤだった。それでハゲてきた髪を思い切ってオールバックにしてみせたんです。戦国時代の落ち武者のイメージ。
そしたら楽屋がドッ!と盛り上がった。みんな僕がハゲかけてると知らないから。僕としてはウケてホッとしました。
■夫婦がドライヤーの貸し借りでケンカするネタの途中で…
たまたまその日に舞台でやる漫才が、夫婦がドライヤーの貸し借りでケンカする設定のネタでした。舞台に出ると、ネタの途中で相方がアドリブで、「ドライヤーで何すんねん?」と突然、台本とは違うせりふを言ってきた。僕が「そりゃ濡れた髪を乾かすんやろ」と慌てて返すと「そんなのいらんやろ。俺に言え!」と相方が僕の頭をフッ! と吹いたんですよ。
僕の髪がまくれた瞬間から、今でも覚えてますけど、お客さんの笑い声が1分くらい止まらないド爆笑でしたよ。あのギャグが生まれた瞬間です。