ミラクルひかるさんの転機 初オーディション合格の高揚感
ミラクルひかるさん(モノマネ芸人・40歳)
宇多田ヒカルのモノマネでブレーク後、人気女性モノマネ芸人となったミラクルひかるさん。転機となる「その瞬間」はブレークのきっかけだった特番のオーディションに初参加した日。そして芸名にもなっている大物アーティスト本人と対面した緊張の日も?
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芸人になる前、東京で美容師をやっていた頃から、宇多田ヒカルさんのモノマネの練習ばかりしていました。体を壊して兵庫の実家に帰った時期は宇多田さんのマネを極めようとカラオケに通いつめました。でも、モノマネ芸人になる気はなくて趣味でした。モノマネすると元気になるし、自分の自信になるので宇多田さんのマネを試行錯誤して。バイトしながら毎日練習に励みました。で、また上京。
でもまだモノマネ芸人になる気はなくて、エステの仕事をしてみたり、他の仕事に就いたり。「人生一回きりだから好きなことに挑戦しよう!」と。
事務所の門を叩き、所属させてもらったのはある日突然思い立って。それから「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」のオーディションを受けることに。素人が集められるオーディションの日ではなく、プロの芸人さんが集まるオーディションに初めて参加。
2005年のその日が完全なターニングポイント。大部屋の広いリハーサル室に100人近くいて、みんな衣装に着替えたり、準備していて。テレビで見たことがある芸人さんも多い中で、初参加の私が持っていったネタは宇多田ヒカル1本だけ。プロデューサーや審査される方々が10人くらいいる硬い雰囲気でしたけど、なぜか緊張しなくて。失うものがないから「ここで頑張らないと何もない!」と度胸だけはよかった。
でも、歌マネをやったら「おまえはそんなに歌うまくないなぁ」と言われ、落ちかけた。「ち……ちょっと待ってください。しゃべりモノマネもできるんです!」と慌てて宇多田さんのしゃべり方をマネたら、周りの芸人さんたちが「すごい!すごい!」と沸いてくれてスタッフの方も「おー、研究してるじゃないか!合格だ!」と。
メチャメチャうれしかったし、こんな高揚感を人生で味わったことはなかったです。芸人さんも「やった!」と見ず知らずの私のことなのに喜んでくれました。美容師の国家試験に受かった時よりうれしかった。あの日で確実に人生が変わった。
宇多田ヒカルは「自分ではそんなにわかんない」と
オーディション通過で手にしたテレビ収録本番も緊張はほとんどしなかった。宇多田さんの歌マネもしゃべりのマネもウケました。その後、宇多田さんのマネでレギュラーとして出られました。
もうひとつの瞬間はご本人に会えた日。翌06年のさいたまスーパーアリーナのコンサートに行った時です。当時のマネジャーから「楽屋にご挨拶に行けるよ」と言われ、ライブ後に挨拶にうかがった時はテレビに出るより緊張しました! お父さんもいらしてとてもウエルカムな雰囲気で。
宇多田さんがギターの方から番組を録画したDVDを見せてもらい、私のことを知っていたんです。宇多田さんの身近な人が評価してくれてたのが私はうれしかった。ギターの方は楽屋でもすごく喜んでくれて。
宇多田さんは「テレビ見ましたー。みんなに似てるって言われるけど、自分ではそんなにわかんない」と。
お会いした印象はイメージ通り女の子らしい方でした。私に会って恥ずかしそうというか切ないような。今、思えば、ちょっとイヤだったのか(笑い)。
私が「とんでもないです!」と言い、写真を1枚だけ撮らせていただいた。緊張してサインもらうのも忘れた。ハハハ。
それから、番組でも共演させてもらいました。モノマネ芸人はご本人に隣に並ばれると、似てるかどうか不安になる。怖かったですけど、その場でご本人の声を聞きながらマネしました。
その後、レパートリーが増え、いろんな番組に出られ、デビューして15年。今日までモノマネをやってこられたのも「あの日」のオーディションでやった宇多田ヒカルさんのおかげです。
(聞き手=松野大介)
▽1980年4月、兵庫県生まれ。抜群の歌唱力の歌マネからしゃべりマネまで高いクオリティーを誇る。レパートリーも豊富。5月2日「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」(21時、フジテレビ系)に出演。