マック鈴木さん 手探りのマイナーからデビューまでを語る
村上雅則さん、野茂英雄さんに次ぐ3人目のメジャーリーガーといわれるが、実はメジャー挑戦は野茂より早かったマック鈴木さん。しかも日本のプロ野球を経験していない初の日本人メジャーリーガーでもある。デビューは24年前の七夕の今日! 団野村氏(63)がいたからこそのデビューまでを語っていただくと……。
■マイナーから初めてすべて手探り
高校を退学した時、他校に編入するとか、プロ野球に入るまで練習生をやるとか、いろいろな選択肢があったけど、退学の理由が高校の外でのケンカだから、オヤジが「自分を見つめ直すために一人でアメリカに行ってこい」と団野村さんにお願いして、団さんが株主で経営していた1Aの野球チームに就職させてもらいました。
団さんとのつながりは僕が中学2年で、サンディエゴに50人ほどが野球を習いに行く短期の練習に参加した時。主催が確か野村沙知代さんで、実の息子の団さんが手伝いに来ていて、その時に知り合い、会話もさせてもらいました。
団さんが経営するサリナス・スパーズに就職する時、オヤジは「選手登録されてる時は試合に出て、登録されてない時はホットドッグ売ったりして働け」と言っていたのに、渡米したら雑用係の仕事をいただき、給料3万円で寝る間も惜しんで洗濯とか雑用ばかりでした。監督、コーチ、選手の25人くらいの練習着と試合用ユニホームを合わせ50着を毎日洗濯。洗濯機が回っている間に球拾いに入らせてもらえたくらいで、野球はほぼできません。ある時期からバッティングピッチャーをやらせてもらえましたけど。そんな生活が1年続いた。
そのチームはメジャー傘下ではなくて独立した1Aチームで、年間100敗してる、寄せ集めの選手の弱小チーム。たまたま投手枠が1つ空いた時、団さんに「鈴木、投げるか」と言われ、試合で投げたら、92~93マイル出して1イニングしっかり抑えられた。スパーズにはヤクルトとダイエーからの派遣の選手とコーチもいたので、「コンタクトを取りたい」と申し入れがありましたけど、団さんが「鈴木は米国でやります」と伝えたようで、日本のプロには入りませんでした。