お手本はジャニーズ 日本ブーム背景に“後追い”を大量生産
日本人の若者が韓国へ渡り、K―POPアイドルを目指す――。そんな現在からは想像しづらいが、かつて韓国が日本のアイドルを盛んに模倣していた時代があった。K―POPの成り立ちとそこに絡んでくる日本の存在について、簡単に振り返ってみよう。
2010年に日本デビューし、一世を風靡した女性グループKARA。その成功の立役者が、所属事務所DSPメディアの設立者イ・ホヨンだ。彼は1987年、韓国初のアイドルグループともいわれる消防車(ソバンチャ)をデビューさせる。男性3人組の消防車は、派手なダンスパフォーマンスが若者に受けて大成功を収めた。この消防車のモデルとされるのが、ジャニーズアイドルの少年隊だ。
イ・ホヨンは続いて、1992年にZAMという男性4人、女性1人のグループを世に送り出す。ZAMがコンセプトを拝借したのは、日本で大ヒットを飛ばしていたZOOだ。またZAMのリーダーだったチョ・ジンスは、1990年にYachaというグループでデビューしたこともある。
ローラースケートをはいて踊るそのパフォーマンスの原型は、日本で全盛だった光GENJIだ。そのほか1988年デビューの女性3人組セトレは、当時アジアでも人気を博していた少女隊を真似てつくられた。
こうした日本の後追いアイドルが次々とつくられた一因に、80~90年代の「日本ブーム」がある。韓国では70年代の高度経済成長を経て、80年代から10代が新しい消費の主役として台頭。そんな時代、若者の間ではファッションやアイドルなど日本のポップカルチャーがもてはやされていた。