なかにし礼さん死去…安倍前首相ら改憲論者を痛烈に批判
「北酒場」や「石狩挽歌(ばんか)」など数多くのヒット曲を手掛けた作詞家で直木賞作家でもあるなかにし礼(れい、本名・中西禮三=なかにしれいぞう)さんが23日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなっていたことが分かった。82歳だった。葬儀は近親者で行うという。
1938年、旧満州・牡丹江省(黒竜江省)で生まれたなかにしさんは、立教大学在学中よりシャンソンの訳詞を手がけ、「知りたくないの」(歌・菅原洋一)を機に作詩家に。昭和を代表する楽曲を手がけた。2000年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞受賞。「赤い月」「戦場のニーナ」ほか、多数の著書がある。
2012年3月の民放情報番組で、食道がんであることを報告。いったんは陽子線治療でがんを克服したものの、15年3月、自身のラジオ番組で再発を明らかにしていた。日刊ゲンダイ「愉快な“病人”たち」(16年5月26日付)では、なかにしさんは闘病生活をこう振り返っていた。
<あまり知られていないけれど、実は抗がん剤の副作用にうつ症状もあったのです。そして、私がまさにそうでした。抗うつ剤を処方してもらったら、苦しみが半減しました。都合、5回の抗がん剤治療と12回の陽子線治療でがんは消えました。がんは根性で勝てるものではないと思います。がんがつらいんじゃなくて、私のうつ症状のように“抗がん剤がつらい”ってこともあります。そういうつらい時こそ、薬の出番。何が問題か、根本の見極めが必要です。>