神楽坂浮子は“銀座の女”をテーマにして作詞家デビューした
深川出身の神楽坂浮子は、芸者として活動するかたわら、歌手になろうと作曲家の古賀政男に弟子入りした変わり種である。程なくして「私なんだか変テコリン」(作詞・吉川静夫/作曲・清水保雄)でデビューした、いわば“現役芸者歌手”のハシリだった。その後「十九の春」がヒット。一躍スターの座を掴み、1958年には「三味線フラ」、61年には「東京の下町娘」で2度、「NHK紅白歌合戦」に出場している。その後も「三味線ドドンパ」「芸者エレジー」「舞妓さんこんばんは」など“お座敷ソング”を立て続けにリリースしたが、次第に飽きられるようになっていた。
そこで、彼女は“銀座の女”に目を付けた。というのも「エスポワール」の川辺るみ子と、「おそめ」の上羽秀をモデルにした川口松太郎の小説「夜の蝶」がベストセラーとなり、映画にまでなったことで、夜の銀座がにわかに注目されるようになっていた。世の男の関心が芸者との“お座敷遊び”から、ホステスとの“クラブ活動”に移行しつつあったのだ。