飯野矢住代誕生秘話<20>大門節江と飯野矢住代は生き方もキャラも好対照だった
「あの歌は、節恵(※源氏名は節恵)が梅宮さんと別れてミセに戻ってきた頃に書いたものなの。女にとっては大変なことだし、あの子にも言いたいこと、グチりたいことがあったでしょうけど、それをじっとこらえて、毎日笑顔でミセに出ていました。そのイメージで書いたのが『噂の女』で、彼女にもその時点で、“あなたがモデルなのよ”と言ったことがあります」(「週刊女性」1970年7月19日号)
そうは言うが、バンドマンと破局して、やはり「姫」に復帰した飯野矢住代のことは無関係だったのだろうか。
「噂の女」のリリースは1970年7月5日。時期的に矢住代の件と重なるからだ。大門節江と飯野矢住代。「姫」が誇る“スターホステス”の両者は、生き方もキャラクターも好対照である。
1945年8月、広島市生まれの大門節江は、爆心地から程近い場所で胎内被爆児として生まれた。20歳のとき、東京で美容師修業をしていた弟の看病で数日滞在したのが初めての上京。東京最後の夜に父親の知人で郵政大臣や参院副議長を歴任した政治家、平井太郎(平井卓也衆院議員の祖父)と食事をした後、連れて行かれたのが「姫」だった。そこで山口洋子を紹介され、スカウトされたのだ。