<119>存在を否定していた人物が急に思い出した“遺言”「5年前に自宅に送られてきた」
野崎幸助さんの遺言書の検認のため、和歌山家庭裁判所の田辺支部には早貴被告を担当している弁護士と、ドン・ファンの妹さんが依頼している弁護士、そして田辺市の職員、「いごん」を提出したMの弁護士、そしてドン・ファンの姉のYさんが顔を見せた。Mの弁護士は東京に事務所があり、わざわざこのために往復10万円近くの交通費を支払って飛んできたので私は疑問を持ったが、それだけの見返りがこれにはあるのだろうと確信した。
「いごん
個人の全財産を田辺市にキフする アンカーアプリコの清算をたのム
平成25年2月8日 野崎幸助」
「M 殿」
遺言は、わずかにこれだけが書かれた1枚の紙で、それは赤いサインペンで記されていた。
遺言書を残すのに赤いサインペンを使用するかどうかについては判断できないが、一般的には使わないと思うし、公正証書を利用することが多いので不自然である。が、ドン・ファンが普段赤いサインペンを使用していたのは事実だ。Mはこの「いごん」を入手した経緯について、以下のような書類を裁判所に提出している。