撮影現場ひと筋60年の録音技師・紅谷愃一が見た・聞いた「日本映画の黄金伝説」

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 先ごろ発表されたアカデミー賞では、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」(2021年)が国際長編映画賞を受賞したが、日本映画が世界的に評価されるきっかけになったのは、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞してからである。その「羅生門」の現場にも録音助手として参加し、今村昌平監督がカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)に2度輝いた「楢山節考」(83年)、「うなぎ」(97年)の録音も手掛けた映画の録音技師・紅谷愃一の60年にわたる映画人生をつづった本、「音が語る、日本映画の黄金時代」(河出書房新社刊)が現在、絶賛発売中だ。

■黒澤明監督は「運が強い」

 筆者は紅谷氏に1年以上かけて取材し、この聞き書き本をまとめた。撮影現場での同時録音にこだわる紅谷氏の厳しい仕事ぶりにも感心したが、多くの日本映画の名作・話題作の現場を経験してきた彼が見聞きした、撮影秘話も面白かった。例えば紅谷氏が大映京都撮影所での助手時代に参加した「羅生門」では、この作品の撮影が終了して仕上げに入った時、ダビングルームの隣にあるスタジオから出火し、録音機材を避難させる騒ぎになった。翌日ダビング作業を再開すると、今度は映写室から火の手が上がり、「羅生門」のフィルムが何フィートか燃えてしまった。ネガがあったので再度現像したが、そこからダビング作業は徹夜で続いて、作品が完成したのは東京・帝国劇場での完成披露試写の前日だったという。もしかしたらあの名作は、火事によってチリと消えていたかもしれないと思うと、「黒澤さんは運が強い」と紅谷氏は言っていた。

赤木圭一郎氏の事故死現場にも立ち会った

 その後紅谷氏は、戦後54年に映画の製作を再開した日活へと移籍し、石原裕次郎をメインとする日活アクション映画にも関わるが、61年に裕次郎、小林旭に続く第3のスターとして注目されていた、赤木圭一郎の事故死現場にも立ち会っている。このとき紅谷氏は赤木の主演作「激流に生きる男」のスタッフだったが、昼の休憩中、日活の食堂にいたら、食堂のすぐ横を猛スピードで何かが通ったのを目撃。直後にドーンとものすごい音がした。赤木圭一郎が運転したゴーカートが日活撮影所の大道具作業場の大扉に、もろに突っ込んだのだ。この事故の7日後、赤木圭一郎は21歳の若さで亡くなり、日活はアクションスターの柱を一つ失って、会社の勢いもそがれていった。

 他にも、まだ日本へ返還される前の沖縄の島々で、2年に及ぶ撮影を行った今村昌平監督作「神々の深き欲望」(68年)や、カナダから南極まで南北のアメリカ大陸を縦断し、南極では撮影隊を乗せた船が座礁事故にも見舞われた、深作欣二監督の「復活の日」(80年)など、過酷な長期にわたる撮影現場の話には、とても一言では言えないくらい、苦難と苦労のエピソードが満載されている。

「カンゾー先生」で今村監督は三國連太郎にテイク100

 また「カンゾー先生」(98年)で今村昌平監督が主演の三國連太郎にテイク100まで演技をやり直させ、結局三國が役を降りてしまったエピソードには、自分を一歩も譲らない、現場での監督と名優の意地の張り合いが感じられる。

 さらに「海峡」(82年)から「鉄道員(ぽっぽや)」(99年)まで、6作品で仕事をした高倉健や、「夢」(90年)、「八月の狂詩曲」(91年)の録音技師として再びめぐり合った黒澤明監督との心温まるエピソードには、互いを認め合う映画人同士の信頼関係が見て取れる。

 紅谷氏はこの本の取材を始めるとき、映画録音の技術論をメインにするのではなく、自分が出会った監督、俳優たちのことを語りたいと言っていた。人との出会いこそが最大の財産であり、それが自分の映画人生を彩り豊かなものにしてきたのだと彼は思ったのである。

 その60年に及ぶ出会いのドラマから、日本映画の知られざる一面が見えてくる。本を読んでから、そこに出てくる映画を見直すと、また違った魅力を発見できるに違いない。

(映画ライター・金澤誠)

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