「フィンガー5」晃さんに聞いた「天国も地獄も味わったけど、後悔はありません」
トンボ眼鏡のサングラスが、トレードマークの人気者だった四男・晃(60)。還暦となった今、改めてグループの軌跡を語る。
──基地と東京進出。
「父が具志川(現・うるま市)で“Aサインバー(米兵の入店を認めた店)”をやっていて、僕らきょうだいは子供の頃からジュークボックスから流れてくるソウルやロックを米兵と一緒に聴いていました。リズム感だけでなく、英語も自然に身に付いて、楽器や歌も自発的に習って、沖縄の基地で腕を磨きました。それで地元テレビ番組のコンテストに出て優勝したんです。1969年、局の人に東京行きを勧められて家族全員で移住しました。当時はまだ上京するのにパスポートが必要でした。僕が8歳、妹の妙子は7歳の時です。当初は芸能界よりも基地での演奏活動が目的で、横田基地に近い東村山に家を借りて基地で慰問コンサートをしていました。ドル札のオヒネリが凄かった。基地内は米国。子供が夜遅くまで仕事をしても治外法権で問題はなかったんですが、困ったのは学校です。毎晩の演奏で教室では寝てばかり。よく先生に叱られ起こされた。沖縄では先生も友達も寝かせてくれたのに(笑)」