高田文夫は80年代のお笑い&バラエティー全盛の中で放送作家の新たな立ち位置を見せた
(4)ビートたけしの「相方」高田文夫
1980年代初頭の漫才ブームをきっかけに、テレビはバラエティー番組全盛時代を迎える。そしてお笑い芸人もまた、時代を動かすカリスマ的存在になっていく。その中心が、タモリ、ビートたけし、明石家さんまの「お笑いビッグ3」であったことは、よく知られているだろう。そのビートたけしと運命的な出会いを果たし、「相方」的存在になったのが放送作家の高田文夫だった。
高田は、1948年東京生まれ。1947年生まれのビートたけしとは同年代、ともに団塊の世代である。少年時代から大の演芸好きで寄席や演芸場に通っていた。日大芸術学部に入学後は、落語研究会に所属。後年、立川流に入門して「立川藤志楼」の名で真打ちとなって高座に上がったように、大衆演芸への深い愛情は、高田文夫という人間の一番根底にあるものだ。
一方で、フジテレビの「おとなの漫画」が好きで、そのコントの作者である青島幸男に熱烈に憧れた。そして大学卒業とともに、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」の出演でも有名な放送作家・塚田茂に弟子入りし、すぐに売れっ子に。たとえば、フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」で歌われて空前の大ヒットとなった「およげ!たいやきくん」は、高田の企画によるものだった。