高田文夫は80年代のお笑い&バラエティー全盛の中で放送作家の新たな立ち位置を見せた
だが本来やりたかったお笑い番組がなかなかできず悶々としていたときに、まだ売れる前のビートたけしに出会う。年齢も近く、好きな笑いも近かった2人はたちまち意気投合、毎日のように会うようになった。そして漫才ブーム。たけしの組むツービートも一気に国民的人気者になった。
そこに、たけし一人での仕事の依頼が舞い込む。ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティーの仕事である。いまは違うが、当時は漫才コンビの一人だけが仕事をすることは基本的になかった。だがニッポン放送側は、ぜひにと言ってくる。たけしの所属事務所は3カ月ならと引き受けたが、ひとつだけ条件をつけた。それは、極度の人見知りであるたけしのそばに、高田文夫がずっとついていることだった。
この“共演”が、高田文夫の運命を変えた。たけしの歯に衣着せぬ毒舌マシンガントークに当意即妙の相槌を打ち、「バウバウ」という独特の笑い声(松村邦洋が後に物まねして、はやらせたことは有名だろう)で場を盛り上げる高田もまた、人気者になっていった。
メインの演者というよりは、コンビの「相方」のようなポジションで抜群の存在感を発揮した高田文夫。1980年代のお笑い、バラエティー番組全盛期のなかで、放送作家の新たな生き方を示したと言える。 (つづく)