アジャコングさん女子プロレスデビュー3年目までは壮絶貧乏…「勝たなきゃ明日は食えない」
ダンプ(松本)さんがトップの極悪同盟にいた頃は、地方巡業に参加させてもらえ、地方だと1日3000円の食費がもらえた。地方だと先輩がご飯に連れていってくれるから3000円が丸々余り、潤って帰ってこられた(笑)。
獄門党になってブル中野さんの付き人を3年やった後、急に体が大きくなったんですよ。給料も少し上がったのでご飯をたくさん食べられたし、先輩たちの雑用をやらなくて済むと自分のことに専念できましたから。当時は会社から「あまり筋トレするな」と言われましたが、私はあえてやっていました。
■体重が40キロ増え、顔にペイントしたのが分岐点
ずっと60~65キロだった体が1カ月後に75キロ、翌月に80キロ、その翌月90キロに。「来月100キロ超えたら笑っちゃうね!」と言ってたら本当に超えた。60キロから半年かからずにポーンと。
その19歳の時にアジャコングという名を付けて顔にペイントを始めたので、ここが分岐点ですね。アジャコングの完成。お客さんにも「なんだ、あれは?」と注目されたし、体がでかいと先輩に当たり負けしなくなり、後半の試合に出られるようになった。お金も入りました。