アジャコングさん女子プロレスデビュー3年目までは壮絶貧乏…「勝たなきゃ明日は食えない」
私は弱かった。だから8万円弱で暮らしを成り立たせなきゃいけなくて、2万8000円の4畳半の風呂なしアパート暮らしでした。
■新人時代は北斗晶のマンションの風呂を借りていた
そのアパートに決めたのは、すぐ裏に1年先輩の北斗晶さんが住んでいたから。北斗さんは活躍して稼いでいたのでマンション住まい。「お風呂も入りに来ていいし、ご飯もうちで食べていいよ」と言ってくれたのですごく助かりましたよ。
なのに、住み始めて3カ月目かに北斗さんが首の骨を折る大ケガをしてしまって長期入院。マンションを引き払われたので、私は寮や同期の部屋のお風呂に入りにいってました。どの先輩もやっていたらしいけど寮からお米を拝借してました。
地方巡業にはスタッフ入れて総勢40~50人が大型バスで移動するので、勝てない若手は連れていってもらえない。クラッシュギャルズの人気でお客さんが入る時代でしたから、必ず出る選手が20人くらいいて、最初の方の試合に出る10人を、デビュー1~3年目の若手40人で争う。とにかく競争が激しい。「勝たなきゃ明日は食えないよ」という時代。シビアでしたねえ。地方に連れていってもらえないと貧乏続きです。