北島三郎「引き際」の美学 競走馬ビジネスは好調、事務所お開き、“唯一”の心残りは?
競走馬ビジネスは好調だが…
石川さゆりの代表曲「天城越え」などで知られる作曲家の弦哲也さんもそのひとりなのだとか。
「弦さんはもともと歌手でしたが、不遇の時期が続いていました。そんなあるとき、北島さんはご自身の全国ツアーに同行する弦さんに『君はまだ歌手の夢を諦めていないのか? 男のロマンかもしれないけれど、歌の世界で生きていくなら作曲家という道もあるぞ』と水を向け、作曲の才能を開花させるきっかけをつくったのです」(チャッピー加藤氏)
北島も「原譲二」のペンネームで作詞、作曲家としても活躍。代表曲「まつり」も北島の作曲で知られている。
「そういう、歌い手だけじゃなく、もっと広い視座で創作したり、周りを見ていたからこそ、弦さんの作曲の才能を見抜けたんですね。それで弦さんは一流の作曲家になれた。歌手以外にも、弦さんのように北島さんを『おやじ』と慕う人は多いですよ」(チャッピー加藤氏)
石原裕次郎の石原プロなど、日本映画界のトップスターが設立したプロダクションもすでにその幕を閉じた。
昭和の時代から、ファミリーを育て上げてきた御大も、その事務所も、終焉を迎えようとしている。
「事務所は解散するわけではなく、社長である北島さんの長男が競走馬の管理や保有、キタサンブラックの種付けなど競走馬ビジネスを展開していて業績は好調です。心残りがあるとすれば事務所を離れる原田悠里や大江裕の今後の身の振り方でしょう。演歌界は厳しい状況がずっと続いていますから」(レコード会社幹部)
時代の流れとはいえ、その活躍を見てきた中高年世代としては、すこし寂しい。