北公次は性被害とアイドルからの凋落で壊れていった…ジャニー喜多川氏からは花輪も届かず
ジャニーズ事務所の草創期、1960年代に人気絶頂だったグループといえば67年に結成されたフォーリーブス。北公次、江木俊夫、おりも政夫、青山孝史。2009年に青山、12年に北が亡くなったが、青山の葬儀の際、北がこう呟いた。
「花輪のひとつぐらい贈ってくれてもいいのに」
北の死去後、「北公次はこうして逝った」を連載したが、これが書き出しだった。
フォーリーブスが解散したのは78年、ジャニーズに残ったのはおりもだけで、北はグループ結成前からのジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」などを出し、ジャニー喜多川とも疎遠になっていたが、事務所を支えたメンバーへのねぎらいがないことに「冷たい」と悔しさをにじませた。
そして12年に北が肝臓がんで亡くなる。その直前に死期を察した北はジャニー喜多川、メリー喜多川に向けメッセージをつづった。
「本当に本当にありがとうございました そして最後にどうしても言わせて頂けるなら ジャニーさん、メリーさん ありがとうございました」