市川猿之助はジャニー喜多川と同じだったのか、それとも伊丹十三か?
「おまえはこれまで何人殺した!」
私が「週刊現代」編集長時代、記事のことでトラブっていたヤクザの組長が編集部に怒鳴り込んできて、私に投げつけた言葉である。私に思い当たることはなかった。だが、心に突き刺さる一言であった。週刊誌をやっている人間は毎週書き飛ばして終わりだが、その中の数行が、書かれた人間を死の淵にまで追い込んでしまったことがあったかもしれない。
その後の1997年12月、映画「ミンボーの女」などの監督である伊丹十三がマンションから飛び降りて亡くなった。ワープロで打った遺書のようなものがあり、「身をもって潔白を証明します」と書いてあった。
写真週刊誌「FLASH」が、伊丹のSMクラブ通いや不倫疑惑を報じた直後だったため、「抗議の自殺」ではないかと取り沙汰された。だが、立川談志は私に「不倫ぐらいで、あいつは自殺しないよ」と否定した。
当時、伊丹は宗教団体と暴力団をテーマにした映画をつくるため取材していた。それに怒った某組長が手下を使って殺したのではないかという説も根強くあった。真相はいまだ謎のままである。