市川中車は“シン・歌舞伎”で「悪いやつ」を生き生きと演じ本領発揮!
8月は「納涼歌舞伎」。5演目すべて、明治以降に書かれたもので、さらに4つが昭和・平成の作品。「シン・歌舞伎」ということか。納涼歌舞伎は、普段の歌舞伎座では古典の大役を演じる機会がない若手が、それに挑む場として始まったが、様変わりしてきた。
■後味の悪い『裸道中』
第一部の『裸道中』は清水次郎長の外伝もので、新国劇のために書かれた人情劇。食べるものも着るものもなくなった貧乏な夫婦の物語。愚かで粗暴な男を獅童がその通りに演じ、七之助がその夫に従う愚かな妻。2人がしっかりとその役を演じれば演じるほど、後味の悪い不愉快なものになった。昭和には受けたのかもしれないが、格差社会になったいまでは笑えない。誰が企画したのか知らないが、センスを疑う。
『大江山酒呑童子』は17代目勘三郎に当てて書かれたもので、18代目が継いで、勘九郎が継いだ「家の芸」。踊りには定評ある勘九郎が存分に舞い、幸四郎、扇雀らも勘九郎を引き立てつつ、自分も見せていて、見応えがある。今月のなかではいちばん歌舞伎らしい。
第二部の真山青果作『新門辰五郎』は重厚だ。幕末の京を舞台にした庶民を主人公にした歴史劇で、幸四郎が辰五郎、勘九郎が会津の小鉄。2人とも親分としての風格はいまひとつだが、変革期に生きる人間の苦悩はよく描かれていた。歌六の存在感が圧倒的で、全体を締める。
重い芝居のあとは、明るく軽快な『団子売』で第二部は終わる。