大橋純子さん「生歌」にこだわり続け…圧倒的声量で歌詞の世界を立体化させた希有なシンガー
このほど73歳で亡くなった歌手大橋純子さん。「たそがれマイ・ラブ」に「シルエット・ロマンス」と、あの伸びのある歌唱力がニュースなどで流れ、若い世代からも「こんな凄い歌手がいたのか」との声が上がっている。
大橋さんは炭鉱の町として賑わった夕張市出身。家族で営む大衆食堂の歌好きの看板娘で、大人の常連客らを前に歌っていた。喫茶店を営む叔父の店に行くと、隣のキャバレーからソウルミュージックやファンクが壁伝いに聞こえ、夕張北高時代にボサノバの「マシュ・ケ・ナダ」を聴いて衝撃を受け、歌手を志した。北大のクラブバンドでハードロックなどを歌って注目を集め上京、レコード会社のオーディション合格からプロの道を歩み続けた。構成作家チャッピー加藤氏が言う。
「大橋さんの生歌を聴いたとき、この人は歌を歌うために生まれてきた人なんだと感じました。声量は圧倒的で、音域も広いし、音程がブレないので、歌の中で描かれている世界がくっきりと、画になって伝わってくる。そんなシンガーはまれですから」
アマ時代からバンドのなかで育ち、レコーディングでもスタジオミュージシャンとともに「せーのの一発録り」だったと、本人は振り返っている。音楽ソフトによる、いわゆる「打ち込み」全盛となっても、それを嫌い、「生」にこだわり続けた。食道がんとの闘病があった晩年もボイストレーニングに取り組んだ。