<9>「紀州のドン・ファン」名付け親にメールで出した3択クイズ
野崎幸助さんが亡くなった翌朝、私は和歌山に向かった。大阪までの新幹線でゆっくり眠る算段をしていたが、彼との思い出が次から次へと浮かんできて、眠ることなど全くできなかった。
新大阪駅で紀勢本線の特急「くろしお」に乗り換え、途中の和歌山駅を過ぎると車窓に紀伊水道が見えてくる。爽やかな五月晴れで穏やかな海に浮かぶ貨物船などを眺めていると、ドン・ファンが亡くなったということが信じられなかった。
午前9時を過ぎたころ、私は前夕に飲んだKクンにメールを打った。
「昨夜ドン・ファンが亡くなったとの連絡あり。詳しいことは後ほど」
これで一緒にコースを回っている編集のYクンにも情報が伝わるはずだと思った。
Yクンは週刊現代の編集長を経て講談社+α文庫でドン・ファン本の2冊目(死後の3冊目「『真犯人』の正体」も)を担当していた。週刊現代時代はドン・ファン記事を何度も掲載して人気に火を付けたし、なによりも「紀州のドン・ファン」の名付け親である。