自分が書きたいことが書ける「忖度しないメディア」です
杉田帆崇さん(第二編集局スポーツ編集部所属/2020年入社/明治大学国際日本学部卒)
【バイトで稼いでは旅に出る学生時代】
学生生活はアルバイトと旅行の2本立てでした。4年間キャバクラのボーイとしてコマネズミの如く働き、お金が貯まったら長期休暇を取って、バイクで日本一周や無人島10日間生活、小説のように「ガンジス河でバタフライ」するためにインドに飛んだりと、好奇心のまま行動しました。
こうして青春(?)を謳歌して迎えた大学3年の秋、就職について考えた時、「自分のバイタリティーを生かせるのは週刊誌記者かな」と思い至ったんです。業界研究をする過程で「毎日出る週刊誌」をコンセプトにする日刊ゲンダイを知り、いざ読んでみるとこれが面白い。政治から健康、エロ、スポーツと幅広いジャンルを網羅した紙面に惹かれて、入社を志望しました。
【コロナ禍の苦労がプラスに】
人生がいよいよ社会人編に突入、という時にコロナ禍に見舞われました。スポーツ編集部への配属が決まっていたので、入社したら毎日のように球場へ足を運び、東京五輪や高校野球の取材も体験でき、刺激が強い生活ができそうだなと楽しみにしていました。なのに、五輪は延期、プロ野球を含めスポーツイベントも軒並み延期や中止。想像とは全然違うスタートでした(笑)。
そんな状況下で、経験も知識も全く無い自分がどうやって記事の企画を出せばいいのかと、頭を抱えた時期もあります。ありがたいことに、先輩が「(日本が出場をボイコットした)幻のモスクワ五輪代表選手が語る 失われた夢舞台」や、「あの五輪メダリストは今」などの連載企画を取材するよう指示を与えてくれ、それに打ち込むことができました。ありがたい限りです。そうして経験を重ねているうちにポツポツと自分の企画が会議で通るようになり、プロ野球も開幕したことで苦しい時期は割とすぐに抜け出せました。この間にじっくり勉強もできましたし、今ではコロナ禍が結果的に自分にとってプラスになったのかなと思っています。
【「自分だけが知る情報」を追い求めて】
前述の「あの五輪メダリストは今」を担当した時のこと。原稿を読んだ上司に「この選手の監督はすごく厳しいことで知られている。その指導を受けたことが引退後の人生観に影響を与えているんじゃないか」と指摘を受け、再取材をお願いすることになったんです。原稿に“話の腰”のようなものがなく、サラッと書いてしまったこともやり直しの理由の1つでした。相手に再度時間を割いてもらう申し訳なさや、事前の下調べ、質問の内容が甘かったことを猛省しました。
それからは下調べをとことん行うようになりました。対象者の記事は可能な限り目を通し、SNSも数年分遡ってストーカーのようにチェック(笑)。取材の時も、たとえば相手が「あの時はつらかった」と言ったら、「体重が減ったりしましたか?」などとさらに突っ込むよう心がけました。具体的に「○キロ減った」と数字を挙げてくれれば、ただ「つらい」だけよりイメージが湧きやすいですしね。
どこにも出回っていない「自分だけが知っている情報」を聞き出せる、という高揚感はとても大きいです。何にも代えがたい経験を積ませてもらっています。
【「忖度」なし、のびのび自由に書けます】
あらゆることが「OJT」。幸い、仕事で猛烈に困った経験や、取材先で大失敗したということは今のところありません。日々の仕事の中で成長している実感を覚えます。
今の目標は、とにかく一人前の記者になること。もっと知識や経験をつけ、質の良いプラン、記事を出していけるように励んでいます。また、若年層の「ゲンダイ」の認知度を押し上げるために、デジタル方面の強化にも力になれたらと思います。
出した原稿が修正だらけで原型を失い衝撃を受けたり、締め切りに焦ったりと、大変な思いもたくさんしますが、それを上回る刺激や高揚感を経験できます。レース編集部の先輩からは「当たりそうな馬券」を教えてもらったり(笑)、部署の枠を越えて気さくに話しかけてもらえる職場環境です。
初年度からのびのびと、書きたいことが書ける、「忖度しないメディア」の日刊ゲンダイで、若手の一員として共に働けたら嬉しいです。
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