ダイハツ工業(下)不正が行き着く先は…軽自動車再編へスズキと統合か
経営陣の国際感覚のミスマッチはグローバルに展開するトヨタにとって、はなはだ不都合である。白水氏の処遇に注目が集まった。
05年6月、白水氏はダイハツ工業会長に天下りした。白水氏がダイハツで真の権力を確立したのは07年。軽自動車のトップシェアを34年間守ってきたスズキを抜いて初の首位に躍り出た時だった。07年はダイハツの創業100周年の節目の年だった。
11年が最大の転換点となった。ホンダが広い室内を売り物にした「N-BOX」を発表して軽に本格参入してきた。迎え撃つダイハツは、従来の車の半分のわずか18カ月の開発期間で「ミライース」を送り出して対抗した。
「ミライース」のように、短期の開発期間でヒットするクルマをつくり上げたことが白水氏の最大の遺産だ。
だが、皮肉なことに短期開発に突き進む動きに呼応するかのように不正が14年以降に急増する。
「白水“天皇”がつくった体制と成功体験が、不正が生まれる土壌になった」とする現役社員の告発が、メディアにあふれた。