残された女子学生の正体は「三原山の死の立会人」だった
昭和初年代は国家が暴力化したと言えるわけだが、そのことは社会そのものがある歪みを伴うことであった。人びとが心理的な逃げ場を求めて、退嬰的な風俗に傾いたり、将来に絶望するしかないと受け止めた青年男女の中には、自殺や心中に走る者が相次いだ。まさに「死」がブームになるといったありさま…
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