北海道開拓の二重性 米国依存とアイヌ民族への露骨な植民地政策
屯田兵政策は明治政府の国内開発の一手段だが、一面で歴史的には多くの課題や懸案の事項を抱えていた。屯田兵制は明治8年から始まり、明治32年に終わった。そこで、この25年間の近代日本史との関わりについて、いくつか語っていきたい。また、北海道開発には外からの援助も大きく、その中心はア…
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