「日本一腰の低い代表選手」森島寛晃はメンバー23人の中で唯一Jクラブのトップに
森島寛晃(セレッソ大阪社長/50歳)
2002年に日本と韓国でアジア初のW杯が共同開催された(5月31日~6月30日)。フランス人監督トルシエに率いられた日本代表は史上初のグループリーグ突破。決勝トーナメント一回戦でトルコに惜敗したとはいえ、母国開催W杯で大いに面目を施した。あれから20年。日本を熱狂の渦に巻き込んだトルシエジャパンの面々は今どこで何をやっているのか? カタールW杯に臨む森保ジャパンについて何を思うのか?
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2002年6月14日の2002年日韓W杯・チュニジア戦。0-0で迎えた後半2分、中田英寿のタテパスが相手DFに当たり、こぼれたところに飛び込んだのが、背番号8をつける森島寛晃(現セレッソ大阪社長)だった。
「地元・長居で特別な熱気が感じられて、自分も思い切ったプレーができた。それがゴールという形で結実した。ホントに格別な瞬間でした」
あれから20年が経ち、彼はセレッソの社長として同じ長居で働き続けている。91年に前身のヤンマーディーゼル入りしてから31年。「ワンクラブマン」として人生を駆け抜ける男は「20年前のようにようにスタジアムを満員にしたい」と熱望しながら日々、奮闘している。
■日本一腰の低い日本代表選手
「つい最近、関西企業関係者の会合で『日韓W杯のゴールシーンを現地で見ました』という方にお会いしました。スポーツは何年経っても記憶に残るし、多くのことを伝えていける。本当に素晴らしい舞台に出させてもらったんだなと改めて痛感しました」
こう語る森島社長は当時、30歳のベテランMFだった。トルシエ監督が中山雅史(磐田コーチ)と秋田豊(岩手監督)の両ベテランを本大会に招集するまでは、チームの中で最年長だった。
それでも「日本一腰の低い代表選手」と言われた男は「ヒデたちをサポートしたことは一切、ございません」と笑う。
「日韓W杯は2000年シドニー五輪世代が中心で、ヒデやツネ(宮本恒靖JFA理事)を筆頭に25歳以下が多かった。彼らがしっかりしていたんで、僕は何もしなくてよかったですね。ロシア戦後に(日本代表チームの)滞在先の静岡・葛城北の丸に家族を呼んでワイワイやった時も、一番プールに落とされたのは秋田さん。ベテランがボケて和ませてくれたりして、チームは最高の雰囲気でした」
ミスターセレッソが社長に就任
そうやってアメを与えると思いきや、時に雷を落とす。それがトルシエ流だった。森島社長も「試合前日にスタメンを確信していたのに、当日のメンバー発表で外れるケースが多々あった。朝の散歩のつもりで集合したら海岸をダッシュさせられたこともありましたね。そういうメリハリがいい緊張感につながっていた。あのピリピリ感は20年経った今も忘れません。自分が"一発屋"になれたのもそのおかげかな」と笑顔で述懐した。
「ミスターセレッソ」として17年プレーした森島社長が引退したのは2008年。その後、アンバサダー、強化を経て、2018年12月に社長に就任。日韓W杯メンバー23人の中でJクラブのトップに立ったのは彼1人である。
「2018年10月頃、メインスポンサーのヤンマーさんから『社長をやってくれないか』と言われ、面食らいました。最初は気持ちを整理できませんでしたけど、『周りがサポート』するからと言われ、覚悟を決めました。
とはいえ、経営者の経験はゼロ。書類にハンコを押すことも多くて『収入と支出を見ておけば大丈夫や』という先輩の言葉を肝に銘じています。京セラの稲本和夫会長の著書『生き方』を読んだり、静岡県の(高校)同期生である野々村芳和Jリーグチェアマンに相談したり、いろんな人のおかげでここまで来られました」
■コロナ禍による大幅減収
その間には数名の生え抜き選手の移籍など予期せぬ出来事にも直面した。出ていく決断を聞いた時には寂しさも感じたというが、「違う環境へ行っても活躍は気になりますし、セレッソ自体も成長させないと。それが僕の仕事ですから」と気を引き締める。
コロナ禍埜大幅減収もクラブにのしかかる深刻な課題だ。2021年度は29億1500万円を売り上げたが、6億5700万円の赤字を計上。数字的には2020年よりも悪化した。
「これだけお客さんが来られない状態が続くのは想定外。サポーターの存在の大きさを痛感させられます」と森島社長も神妙な面持ちで言う。
「もう一度、サッカー人気に火をつけたいというのは僕だけじゃなくて、みんなが強く思っていること。20年前の長居で自分がゴールできたのも、満員の大観衆の後押しがあったから。あの熱気と興奮の中で選手にプレーさせてあげたいし、最高の雰囲気を作りたいというのが切なる願いです。
お客さんが入ればスポンサーさんの価値も上がるし、みんなが笑顔になれる。今はスタジアムをいっぱいにすること。頭の中はそればっかりですね」と実直な男は本音を吐露する。
南野拓実はホントにシュートがうまい
日本中を虜にした20年前のサッカー熱を取り戻すためにも、半年後のカタールW杯の日本代表の快進撃が必要不可欠だ。
森保一監督とは、加茂周監督時代の95年に一緒に代表でプレーした経験がある森島社長は、先輩にこんな注文をつける。
「個人的には前で点を取る選手が気になります。一番はセレッソ出身の拓実(南野=リバプール)。中学生の時の彼は毎試合点を取っていた。当時からホントにシュートがうまいんです。拓実に点を取ってもらえるような使い方をしてほしいですね。もう一人、気になるのは久保(建英=マジョルカ)君。彼は決定的な仕事ができると思います。W杯で上に行くには、20年前のイナ(稲本潤一=南葛SC)みたいなラッキーボーイの必要。技術的に上手い選手だけじゃなく、自分みたいなガムシャラに頑張れる選手にも出てきてもらいたいです」
クラブ経営者になっても、そのメンタリティは泥臭く走っていた現役時代と同じ。森島社長の思いを後輩たちにはぜひとも受け継いでほしい。